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執筆者の写真反田孝之

「反田はいつまでそこに留まっているのか?」

ということを直に言われたことはない。が、そう言いたいんだろうな、と感じたことは1度や2度ではない。まあそう思われるのは無理もないだろう。私のようにちょっと珍しく難しいと思われることをやった人の多くは、ほどなく次の展開へ向かうことが多いものだ。しかし私はいつまでもゴボウを始めとする地味な野菜の栽培という行為ばかりしているのだから。


しかしそうほのめかされると、待ってました!とばかりに私の捻くれ根性がくすぐられる。といっても反論的なことを言うことはない。ニヤニヤして肯定するだけだ。


ここにとどまり続けることが、どれだけ魅力的で、かつ難しいことか。ここに思いが至るかどうかである。「魅力」ということは個々の解釈によるものだから横に置いといて、私にとって何より残念なことは、とどまり続けることの「難しさ」ということを理解(想像)してもらえないということだ。


その結果、これまで私の良き理解者であったと思った人たちが離脱していく。理解者というのは多ければ多いほどいいものだからやはり残念ではある。しかし仕方のないことだと初めから見切っているのも事実。理解者が離れたり新たに出会ったりと流動するネットワークの中で、私は粛々と足元を作り直すだけのことである。


いろいろ考える中で、新年の思いのようなものを書いてみた。今年もよろしく。

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