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執筆者の写真反田孝之

「非主流派」の立ち位置

一昨日、自分が「非主流派」だと書いた。あんまり深い意味はない(笑)。ただ私はこれまでの人生で関わった多くのコミュニティ(共同体)の中ではこの立場だったろうと思っている。


というか、「主流派」という立場がどうも居心地が悪い。主流派に身を置くと、人の嫌な面がたくさん見えてくる。優越感、妬み、ひがみ。実質的なもので言えば、金。ネガティブな面は非主流派の方に多そうなものだが、意外とそうではないのが面白い。生来のひねくれ者である私としては、居心地が悪くつい距離を取ることになってしまう。そのうちいつの間にか端に追いやられているというのがパターン。


といっても主流派の人と壁を作ろうという気はない。「私を嫌いな人はたくさんいるけど、私から嫌いな人はいない」という幸せな性格の本領発揮だ。だからいくらでも協力はする。


一方で「本流」には常に身を置いていたいと思っている。本流とは何か、といえば、漠然と書いたからちょっと説明に困る。いろいろ言い方がありそうな中で、「人間の醜い部分とは距離を取り、真理を求める道に妥協しない」というところか。・・ちょっと言い過ぎか。これでは私が君子のよう。


まあいいのよ。わかる人にはわかるで。実際の私といえば、普段から適当節で冗談しか言わないし、本気で話しても言ってることが普通で、「実は中身がない人間」だとかなりの人から思われてるんだから(笑)。


そんな中で、私のことを兄貴と慕ってくれる津和野町議の山太郎(仮名)を始め、私を必要以上に持ち上げる人らも少数ながら一方でいるという事実が、非主流派の本領発揮というところか、妙に心地よい。ちなみに非主流派で飲むと妙に盛り上がるんだよね。


話がずれてきたけれど、内田樹の「先生はえらい」(ちくまプリマ―新書)。ぜひ読んでもらいたいね。

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