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これから何かを為そうとする人の落とし穴

執筆者の写真: 反田孝之反田孝之

少し前のこと。久しぶりにとある出来事に出くわした。これから農業を始めようとしている?始めたばかり?の初対面の人たち数名に、私が細かすぎる、と主張されたのだ。


​何のことかと聞いてみると、田植えだったか大豆だったかの条がまっすぐすぎると。まっすぐ、イコール細かい、とはさすがにならないとは思うので、他に何か理由があったのかもしれないが、それにしても久しぶりにこの手のことを言われたので新鮮だった。


これまで30年以上「現場」で生きてきて思う。下級者が上級者に対して否定的に抱く評価の典型が2つあって、一つが「くどい」、もう一つがこの「細かい」だ。しかし冷静に考えると、下級者はこれから学ぼうとするコトの何たるかを何もわかっていないわけだから、これから習得しようとするパフォーマンスの数々にとって、何がくどくて、何が細かいのかは分からないはず。なのにそういう評価を上級者に対して抱くのは、これから自分に必要な努力を考えるときの自分の立ち位置が俯瞰できていないからだと言わざる得ない。


上級者に対して学ぶ時はいったんはすべてを素直に受け入れるのがいい。そのうちに必要なくどさや細かさが分かってくる。そうせずに自分のこれまでの視点(自然栽培ではこれを肥毒という)だけで見ていては、目指すパフォーマンスを得られない可能性が高い。そういう若者をこれまでにたくさん見てきた。(おそらく大成していないだろう。)


私が恵まれていたのは、上級者に対してこういう感情を抱いたことがなかったことだろう。修業中に同僚が親方を評価していることに対し違和感しかなかったのは幸いであった。


ついでに話を田植えに戻して、まっすぐ植えることについての「収支」のカラクリに触れておく。「まっすぐ植えるんなら速度が遅いはず、少し曲がってでも早く植えた方がいいのでは」という主張だったのではないかと勘ぐってみる。しかし私の田植え機の速度はかなり速い。植え付けが物理的に可能な範囲で上限の速度である。つまりまっすぐ植えることは何のロスにもなっていないし、除草機の都合も気分の都合も、いいことだらけである。要するにまっすぐ植えることはタダなのだ。タダのことはやったほうがいい。ここが本能で理解できるかどうか。これがセンス。


またさらに言うなら、もっと事情があって、除草の都合で水を張ったまま田植えをするので、マーカー跡を見やすくするために補助輪を付けて植えている。するとまっすぐ植えないと今しがた植えた苗を補助輪が踏んでしまうのである。つまり、除草の都合で水を張って田植えをしたい → マーカー跡が極めて見えにくいので補助輪跡を参考にする → 目から血を流しながら気合でまっすぐに植える → 所々で少し速度が落ちる、という場合も圃場によってはある。この場合の収支は、水を張って田植えをする代わりに目から血を流す、または速度が少し落ちる、ということになるが、落ちる速度は知れているし、実際には目から血は出なくて気を張るだけでよくて、「気を張る」ことや「考える」ことは、経営的にタダだという感覚が本能的にわかるかどうか。これもセンス。


ついでに言うなら、うちは他の農業者に比べて大雑把なことが多いはず。何せ広い面積を小人数で切り盛りしなければなならない。あまり細かいことにかまっていては回らなくなる。これもセンス。


こういうセンスは心を素直に持って修業をすれば、期間の差はあっても自ずと身につくものである。逆に言えばこれまでの自分の感覚や常識(肥毒)にとらわれていたらレベルの高いことを為すことはできない。為せずにその理由を考える時、自分の中の肥毒が原因だと理解することは難しい。修業的には面と向かってこういう話はしないことにしている。こんなところで覗いたりして学んでほしいと思う。

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