top of page

そういえば私は「はんだ牛蒡さん」だった

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2024年3月13日
  • 読了時間: 1分

先日の「つぬさんぽ」なるお祭りで、「今のはんだ牛蒡さんだよ」とささやきながらすれ違う人たちがいた。こういうことはままあって、その時ばかりは私がゴボウ屋であり、うちのゴボウが認知されていることの責任を痛感する。


そうだったよね。さあ、ゴボウ屋よ。このゴボウを作り続けることは責任ですよ。そしてゴボウそのものの陰に隠れた、今までの工夫と努力の過程を誰かに伝えることも。近ごろ記憶が薄れつつあるが、このなけなしの私の人生をどれだけここへ注ぎ込んできたことか。むしろこっちの方が大事なんだろう。


世の中に、技術の継承がなされてこなかったことは多い。今の世が浅はかに硬直しているのはそのせいでもあるだろう。なしうる立場にいる人は、どんな時でも腐らずにやっていきたいもんだね。


最新記事

すべて表示
みんないなくなる

いろいろあって、更新がまた数日あいた。近所に住む叔母さんが急逝されたのもその一つ。 心臓に絡む突然死らしい。そのことを早朝に親父から電話で聞いた折、ふとスマホの着信履歴を見ると地元の番号が。そこですべて理解。マナーモードで気が付かなかった。気がついてあげれればよかった。...

 
 
 
「すべてのことには意味がある」

この冬一番の低温。予報では当地の最高気温は0度くらい、でも実際には1度はありそう。大豆の調整作業がようやく昨日すべて終わり、今日から機械の整備に入ろうとしたけど、こんな低温の日には機械をいじりたくない。草取りマラソンも低温が過ぎると甲斐がない。というわけで相変わらず溜まりま...

 
 
 
不甲斐なさと諦めと

大豆の色選掛けが、気温が上がった時間帯を選んで今日も淡々と進む。明日が大豆の検査。検査ロットだけは何とか間に合わせたい。でも今ギリギリどうかというところ。 寒々しい作業場から窓の外を見る。山陰の冬だ。子供の頃から慣れ親しんだ冬だから、冬とはこういうものだと思っていたつもり。...

 
 

Comments


    bottom of page