top of page
執筆者の写真反田孝之

含蓄の無さこそが含蓄だ

この言葉が好きである。昨年くらいに本でこの表現に出会った。私が無意識のうちに取ろうとする姿勢がまさにこれ。いかに含蓄がなさそうに振る舞うか。修業時代に学び、憧れ、自然に培った感覚だ。 中身がないことの言い訳だろう、と思うのは自由だし、自然か。私もそう思われて一向に構わない。このことを分かるのは簡単ではないし、分かる必要もない。だからこそ修業は難しい。ついでに、パラドックスぽくてすでに含蓄があるじゃないか、と思われるのはかなり悔しい。だから普段は絶対に使いたくない。 これ以上を言えば種明かしになるので控える。ただ、若者は手本となる人に含蓄ばかり追い求めないで、含蓄を感じられない人を「エライ」と思いこんでみるのもいいと言っておく。何か違った世界が見えてくるかもよ。


まあいいよ、忘れなさい(笑)。

最新記事

すべて表示

不甲斐なさと諦めと

大豆の色選掛けが、気温が上がった時間帯を選んで今日も淡々と進む。明日が大豆の検査。検査ロットだけは何とか間に合わせたい。でも今ギリギリどうかというところ。 寒々しい作業場から窓の外を見る。山陰の冬だ。子供の頃から慣れ親しんだ冬だから、冬とはこういうものだと思っていたつもり。...

病床の年越し

ここ数日はまたまた病床に伏せっている。すっきりと元気になったはずだったのに、あれあれ何かおかしいぞ、と気がつけば急性心筋炎。病院には行かんからもちろん見なし。でも症状からして間違いない。 不調が出てから気がつくまでの間に数日あって少し無理もしたし、目の前に住む方がまさにこれ...

復活の程度が半端でない

久々の更新。 今朝布団から出てみて、あれっ?と。体が軽いのだ。そういえば以前は朝ってのはこうだったような・・。もう記憶にないくらいに久しぶりの感覚。なんたって近年の私は、朝の起き立てが一日でもっとも疲れているっていう有り様だったから。こんな日が続かないまでも時々あるといいな...

Comentários


Os comentários foram desativados.
bottom of page