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執筆者の写真反田孝之

批判をしよう

有機がなぜ広まらないか、という理由をそろそろ整理した方がいい。「慣行を批判するから敵視されて広まらない」「批判をやめよう!」みたいな反省が有機側の人たちに見られるが、これは明確に間違いだ。


広まらない理由は、有機の有意性を多くの人が感じていていないからだ。もう少し突っ込んで言うと、感じていないというよりも優位性が「ない」からだ。有意性があるという論文の存在をいう人もときどきいるけれど、優位性はないという論文もある。都合の良いデータを使えばどんな結果だって出せるのだ。


一方で最近むしろ懸念していることがある。以前、あるべきは有機よりも低投与だよ、と有機側のある人に話していたところ、「それは批判だ」と諭されるように批判されて面食らったことがある。こうなると反省はポーズで「批判」批判は、単に自己防衛のためか、と勘繰りたくなる。


「批判はいけない」を声高に言うことは危なくないか?これでは社会や他人には何事も無関心でいなさいと言わんばかり。何も言えなくなるではないか。言論封殺というか抑制というか、そんなのがどこにでも幅を利かせて実に窮屈な世の中である。批判を恐れず自分の意見を言う、って特に子ども達にも伝えたい大事なことじゃないか。


そもそも批判とは、自分がしたつもりはなくても、相手がそう受け取るんだから絶対になくならないものだ(8年前に書いた→ )。いけないって言っても絶対に無理。


何ごとも業界化、利権化してくるとロクなことにならない。「批判はするが対立はしない」で行けばいい。

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