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執筆者の写真反田孝之

洪水の山場を迎えて

昨日のゴボウ畑。



収穫中につき、天気の合間を見て葉っぱを粉砕しに行った。しかししばらくは収穫はお預けっぽい。そろそろ梅雨は山場を迎えそうだから。そして洪水のリスクも山場になりそうだ。


葉を粉砕しながら考えた。もし洪水が来るなら、その時はできれば葉を全部刈っておきたい。そうすれば水が引いた後に掘り上げることができる可能性が高まる。これまでに得た経験だ。


畑が水に浸かることがおおよそ判明するのは、水に浸かる2~3時間前だ。その間に畑に置いた機械類を高みに上げ、大豆の電気柵の電線を外し、それから葉を刈るだけ刈るということになる。だからこれらのことはせめて日中であって欲しい。しかしこれまでには夜中ということも当然あった。2018年と2020年もそうだった。夜中でも何でも冷静に立ち回るためには、あらかじめ準備できることはしておくし、睡眠を日ごろからしっかり取って体調と整えておくというのも大事な準備の一つであることを、過去の失敗に学んでもいる。


冒頭と同じ場所のゴボウ畑が、2018年には一夜にしてこのようになってしまった。これは反対から見たところ。


ゴボウは堆積した5~60cmもの土砂の下にすっかり埋まってしまって、そこにゴボウが生えていたという痕跡すら残っていなかった。世の中の風景を一瞬にして変えることができるのは雪のみだとそれまでは思っていたのに、土砂でもそれが可能だということを知った。


ここまでひどいものは滅多には来ないだろう。しかしこのゴボウ畑がすっかり川の底になってしまう確率も先日書いたように、私が就農して以来の17年間で3割はあるのだ。こういうところで農業をやっている。そしてやめる気がない。


自分では分からないが、このことは私の性格に確実に影響を及ぼしていることだろう。かつて東日本大震災で津波が農地を次々と飲み込んでいく映像について、何かの機会に田津の年配方々が「ざまあみろだ」と談笑されているところに立ち会った。悪いとか酷いとかでなく、何か「壮絶」なものに触れてしまったような気がした。


私もすでに覚悟はしている。洪水がどうであれ(ただし経営続く限りで)ここに良い農産物ができる以上は、私は淡々と営農していくことだろう。私が人間的にどうであろうと、淡々と作物栽培を続けていくことだろう。いろいろなことがあまりにもつまらないのも、きっとこういう背景があってのこと。この田津地区で育つ農産物の事実に比べれば、私ひとりの人生はあまりにちっぽけなものだと言わざるを得ない。

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