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執筆者の写真反田孝之

由布岳登山が感慨深い

次男との大分県の由布岳(1584m)登山は、苦悩の10月騒動の真っ最中で印象深い。次男にとっても、貴重な主体的成功体験のワンシーンはお気に入りのようで、今でも一緒に風呂に入ったときなどに振り返ることがある。


由布岳に行くと決まったのは、次男が痛くて眠れなくている午前3時だった。いつもより長く痛がり疲弊している息子の気を逸らそうと、前から行こうと話していた由布岳に「明日行くか」とつい口走ってしまった。息子は歪んだ顔でうなずく。「よし行こう、それじゃあ寝んといけん、明日からは天気がよくて最高だぞ」みたいなことを言っているうちに目論見通り眠り始めた。ホッとする一方で、大変なことになったと。ざっくり見積もって行程は1泊2日。作業が遅れに遅れているだけでなく、私自身が連日の寝不足。果たして大丈夫か・・。


わずかに仮眠程度で、6時半には起きた。小3にとっては由布岳はボリュームがあるし、車中泊もあるのでそれなりの準備がいる。バタバタと済ませて家を出て、登山地図を印刷するために事務所に立ち寄る。地図を見て標高差だけを拠り所に登山コースを即決。標高差の一番小さいルートを選べばだいたい間違いがないのだ。この判断がドラマを生むことになるとはこの時は思いもよらない。


事務所を出ようとしたときふと亡き母の青春のバイブル「九州の山」の本が目に留まる。由布岳にはいつ登ったのかと見ると、S39年2月2日。ああそうだったと。この山は佐賀県の高校山岳部で鳴らした亡き母が19歳で登り納めとした山である可能性があるのだ。しかも真冬。母の友人に聞いた限りでは単独行だった可能性もある。


道中、山口県の笠山や秋吉台に立ち寄り、夕方は湯布院のまちにて由布岳を豪快に見上げながら風情に満ちた露天風呂に浸かる。登山口についたときにはもうすっかり暗くなっていて、登山口付近があまりに車が止めにくいことで面食らう。ここで車中泊の予定でいたのに、交通量がそれなりにある片側一車線で待避所がなく、ところどころ路肩の植生に食い込んで辛うじて停車(駐車ではない)スペースがある程度で、これは無理だと、数キロ先の別の場所へ移動することにした。


それにしても不思議だ、明朝はその狭い路肩スペースへ駐車せざる得ないが、何台もは止められない、登山者が多い時はどうするのだろうか、何かがおかしい、とまで思いはしたものの、その晩も少しだけ息子が不調でそれ以上考えることはなかった。


翌、登山当日はあいにくの曇り。登山口へ戻り路肩スペースに車を止める。不思議なことに、常識的な時間にも関わらず車は我々の1台だけ。いくら平日だと言っても、秀峰由布岳である。やっぱり何かがおかしい。


出発してずっと樹林帯を行く。この1か月前に長男も含めて3人で登った徳島県の三嶺(1894m)と同様、下草がほとんど生えていない。鹿の食害だ。





天気は良いが安定した樹林帯で眺めはほぼ皆無。しかし思いがけずブナの森も現れ、心も洗われるようだ。息子は巨岩や奇岩、キノコや花を発見するたびに躍動している(笑)。あんまり無駄な動きをしていると疲れるぞ~という私の呼びかけは意味をなさない。


(左下に息子。こういう奇形を見るとすぐに登りたがる。)


高度が上がって由布岳と双子峰である鶴見岳が背後に見えるようになってくると、時折雲が切れて視界が得られるようになってきた。「天辺に行ったときには天気もよくなってきっと三嶺の時のような眺めがあるぞ」などと登路の単調さに少し飽き気味の息子を鼓舞しながら、黙々と登る。それにしても出会った登山者はわずかに1人。ボーっとした感じのおじさんがーー彼はこの後救世主になるのだがーー我々を追い抜いていっただけ。いくら平日とはいえ、名山由布岳で最低標高差のルートというのに、不思議でならない。


(キノコや花を見つけては写真を撮る)


少し険しくなって、いよいよこれからが楽しみな推定で8合目付近で事件は起こった。前を歩いていた息子が「お父さん、ここ登るの?」と聞くので顔を上げた。すると6~7m?もあるような巨大な垂直の岩の壁が行く手を塞いでいるではないか。周囲を探ってみたが巻き道らしきものはない。ここを登るしかない。もちろん私にはなんてことない壁なのだが、息子は絶対に無理だという。挑戦を促すが、嫌だ、怖いの一点張り。おんぶして登れるかどうかを調べるために私が試登してみるも、「三点支持」が必要なレベルのため、さすがにおんぶは怖い。


(上から見たところ。ここをおんぶは怖い。)



(ここで折り返すことを決め、記念撮影)

そうか~そうだったか~、そういうことだったか~とこれまでの謎が一気に解ける。ここはニッチなルートなのだ。メインルートは他にあるのだ。下調べができなかったことを悔んだ。


残念だがそこで引き返すことに決めた。昼飯用のラーメンには時間がまだ早いということで、おやつを食べながらの大休止を決め込んだ。雲の切れ間を狙って、視界90度ほどの景色を写真に収めた。そしてスマホで登山ルートについて調べると、子供でも登れるメインルートが別にあった。しかしだ。我々が来たルートについて調べてみても、この岩壁が出ていないことはないが、決して難路として扱っているサイトはない。これでは初めに調べたとしても、人が少ないという魅力からこのルートを選んだ可能性は高い・・。仕方がない、またいつかメインルートから登りに来るさ。かつて冬に来た母も、きっとそこを登ったに違いない。


肝心の息子が気落ちしてないかを心配したが、そんなそぶりは見せない。この岩の壁の途中くらいまで登ってキャーとか怖いーとか言いながら遊んでいる。残念がる私を気遣って「まあまあ、旅に来たということで。」などとニコニコしながら声掛けしてくれる有りさま(笑)。「どこか楽しいところに寄り道しながら帰ろう」と言い合って、おやつを堪能しながら時を過ごした。


そのときだ。この日唯一出会って我々を追い抜いて行った「ボーっとおじさん」が岩の壁の上に顔を出した。山頂を踏んで下りて来たらしい。そしてここでも相変わらずにゆっくり淡々と壁を降りてきた。ボーっとおじさんが言うには、この壁を越えても先にはもう2ヶ所くらい難所があるとのこと。微妙に未練が捨てきれずにいた私はこれで完全に吹っ切れた。もう仕方がないのだ。


ボーっとおじさんも下り、さて我々もぼちぼち下りようかと考えたときだ。なんと、息子が登ってみたいという。しかし待て。さっき私が登った限りでは、息子にとっては登りも怖いが下りはさらに怖くなる。ここを仮に登り切ったとしても、もしもこの先にあるという難所で拒まれたら、上るに登るに登れず、今度はこの壁を降りるに降りれず、進退窮まる可能性がある。それだけは避けたい。しかしせっかく挑戦しようという気になっている。やらせてやりたい。やらせてみて、やっぱり怖いからと登れないかもしれない。それならそれでいいだろう。


私が下から指示をしながら登らせてみることにした。「三点支持」について説明し、こういう理論ネタや初ネタを喜ぶ彼らしく、息子はそれをしっかり守りながらゆっくりと登っていく。ちなみに腕力のない子供にとって、ぶら下がっている鎖は何の役にも立たないので無視するしかない。怖くないかと聞いても「大丈夫」と返すのみ。さっきまでもっと低い位置で怖いと言っていたのに。手足が短いので掴める範囲が限られているため途中で2度くらい身動きが取れなる。しかし「もう少し右手の先」とか「もう10センチ上」などの下からの私の指示を頼りについに登り切った。


(あともう少し)


本人は嬉しさいっぱいだが、この瞬間から私は不安と緊張で押しつぶされそうになった。とにかく問題はこの先にあるという難所だ。そこを登れなければ進退窮まる可能性がある。逆にそこさえクリアできれば、下山はメインルートをくだればいい。もう後には引けないのだ。


そして計ったようなタイミングで、その時からガスが晴れ、眺めが良くなる。周囲の絶景に息子の歓喜の声が響くが、私は不安でそれどころではない。


そしてついにその難所が現れた。しかし賭けに勝った!そこは私のサポートがあればそれなりに容易な箇所であった。ほどなく山頂へ。





山頂は西峰と東峰に分かれていて、我々が来たのは東峰だ。三角点は西峰にあるが、標高はほぼ同じ。調べると西峰の方が3mくらい高いらしい。母はどちらに登ったのだろうか。両方か。西峰は鎖場の難所があるらしいので東峰のような気がする。山頂にはメインルートからの登山者が数名。みなさん息子を見て驚いている。平日で子供を見かけない日だからなおさらだ。我々が登ってきたルートの位置づけを知りたかったのでいろいろ聞いてみるが、この山には初めて登ったという人ばかりで誰も情報を持っていない。しかし皆さんが登ってきたメインルートの情報は手に入れ、ふもとに下りた後の車の回収のことなどを算段する。


(山頂にある大岩に乗って。向こうに西峰。自分が巨人のようだとお気に入りの写真。)



(眼下に湯布院の街と遠くにかつて長男と登った九重連山。メインルートはこの左下の方向。)


巨岩に登ったり絶景を楽しんだりしてしばらく山頂を堪能し、さあ降りようかということになって、下りはこっちから降りるのだぞと息子に伝えたところ、これがただでは済まなかった。


なんと、来た道を降りるといって聞かないのだ。いくら説明しても訴えて泣き出しそうになる。そうだな、挑戦させてもやりたい。無事に下りれたら車の回収の必要もない。もしもあの壁を下りれなかった場合でも、また登って来てメインルートから降りることは、体力的、時間的には十分可能だろう。それで来た道を降りることにした。


ついに例の壁に来た。まず私が途中まで降りる。下降始めに私でもちょっと悩むところが1カ所ある。しかしそこさえクリアすれば何とかなると確信。そして息子。案の定、その箇所でいきなり行き詰まる。下から私が指示をするが、どうにも手足の長さが足りない。頼もしいのは本人が至って冷静なこと。もう一度仕切り直すと言って初めからやり直す余裕もある。三点支持を忠実に守り、やる気満々の表情が私の焦りを吹き消す。そのうちにどこをどう工夫したのか、届かなかった場所に足が届き、そこを超えた。


降りてきて、なんという息子の満たされた顔だ。思わず小さな体を抱え挙げる。息子に聞いてみた。あのボーっとおじさんが降りるのを見て自分でも登れると思ったんじゃないのかと。すると、やっぱりだった。バリバリ元気な人ではダメだったのだ。おじさんがボーっとしていたことに感謝しかない(笑)。


帰りの車中でも彼の興奮は収まらず、何度も何度も反芻している。図らずも、最高の主体的成功体験となり、私も心底嬉しかった。願わくば、これがきっかけで原因不明の痛みが快方に向かわないか。そのことばかりを願いつつ、帰路を急いだ。しかし思惑は外れ、この日からわずか5日後の鳥取県は大山(1709m)登山に繋がっていく。

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