私の農業人生の原点でもある千葉市緑区下大和田の谷津田。今この谷津田を含む広い一帯が大規模な開発計画に翻弄されている。それで今や時の人となった地球守の高田さんのお誘いを受けてシンポジウムに参加してきた。この問題の中心におられる「ちば環境情報センター」の小西由希子さんと会場で19年ぶりに再会。当時と変わることなくこの谷津田の一角で田んぼを営み、さまざまな取り組みをされている。個人的に聞いたところでは、この開発計画はまだまだ不透明。覆るかもしれないし、覆らないかもしれない。彼女の願い、訴えが痛切に心に突き刺さる。
現代の開発問題は、単に一昔前の「開発か、保全か」と単純に分類できるものではないのだということが、シンポに参加すれば当然のように理解できる。それをどうやって現実に絡めていくか。どんな成り行きでもいいので、良い結果を迎えることを願っている。
シンポの翌日、友人ファミリーの好意でその下大和田の谷津田を訪ねてきた。私がかつて人生をかけた、わずか20aの田んぼの今を知りたかったのである。 小西さんから聞いたとおりで、すっかり荒れ果てて、当時の面影はまったく残っていなかった。私の後をやった人らがほどなく放棄して、すでに15年くらい経つだろうということであった。
(田んぼへの入り口。篠竹に覆われてトンネルになってしまった。)
(田んぼののっかけ。借りていた田んぼがかつてはここから一望できた。左は車を出してくれた松っちゃんファミリー。)
(ハデ木の収納場所。屋根にしていたトタンが残る。)
(焚火をし、交流の場だったスペース)
29歳から33歳までの5年間、ここでさまざまな試しをし、様々な経験をした。田植えや稲刈りのイベントをしょっちゅうやって、たくさんの人を招いては楽しんだ。日々は夕方になると、濡れタオルで体をふき、スーツに着替え、食っていくために進学塾へ。常に先行きの不安を抱え、常に一生懸命。思い返しても人生の中であまりに熱く特別なひと時。 病気をされているという地主さんと事情でお会いできなかったのを心残りに、そしていつか必ず、またここを訪れる甲斐があって欲しいと願いつつ、この度はこの地を後にした。
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