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  • 執筆者の写真反田孝之

自然栽培水田の変遷の成り行き

今日も朝から田んぼの除草機掛けが進んでいる。状況説明ついでに今年の田んぼについて触れておきたい。


今年は6年間作付けを続けてきた自然栽培田をやめ、これまで大豆と稲の田畑輪かんをやっていた圃場に移した。実は自然栽培田のチェンジは自然栽培を始めた2010年以降で3回目、つまり4カ所目である。自然栽培圃場というのは、年月をかけて圃場環境の調和を図っていくものだから、長く続けてナンボ。だからコロコロ切り替えるものではない。しかしここにはやむにやまれぬ理由があった。


(現在の自然栽培圃場。左手前から4枚。道路より右は田畑輪かん区。)


自然栽培稲作は2010年に、とある1圃場で始めた。そこは今田地区の大区画化圃場整備直後で、うちが今田地区への入植1年目であった。3年目になると今田地区の圃場整備が終了し、うちは7haの圃場を管理することになった。その時、自然栽培田の面積を増やしたかったことと、大豆の栽培も広く手掛ける以上はブロックごとに水稲にしないと不具合が多いことのため、仕方なくチェンジすることにした。


次の自然栽培稲作圃場はブロックでまとまった3圃場1.4ha。ここは砂地の作土が10㎝(以下)しかなく、とても稲向きではないと思ったが、それ以上に大豆が育つとは思えない。他の事情もあり、そこでやることに。不安をよそに初めの3年は思いのほか収量が上がり続けた。しかし4年目、さらに5年目で酷い結果に。ここで続けてみたい気持ちは強かったが、この頃の周囲の目や評価ががあまりにも面白くなく、普及にとってどうなのかと悩んでいた。そんな時に、ブロックでまとまった2.2haの新規圃場の耕作を代診された。ここは土が深く湿田気味で転作はできないと言われていたので、ここへの2度めのチェンジを決めた。


前耕作者に聞いたところでは、家畜糞はそれほど入れられてはいない。それまでと違い土の深いその圃場たちへの期待は強かった。


あれあれ、始め書こうとしたことではなくなって、今に至る経過説明になろうとしている。まあいいか。時間なし。続く。

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